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appreciation of the sun

雑記ブログ

我々は「煮詰まる」という言葉の誤用を許容すべきか

日本語

「考えに煮詰まっちゃってさー」

日本語の誤用の中でもよく耳にする表現です。
ついさっきも結構ちゃんとした大人が言っていました。
もはや定着したのではないかと思うくらいです。

 

「行き詰まる」という意味で使われることが多いですが、
たとえば「議論が煮詰まる」というのは、行き詰まったのとは反対に、議論が決着しつつある状態をいいます。

字を見たらわかるように、「煮詰まった」状態は調理において食材を煮る行程が終わる状態です。
自分が煮られている側と思い描いているなら追い込まれた状態として妥当ですが、
その場合は「煮詰まっちゃってさー」などと言ってはいささかその人の楽観が過ぎる気がします。


日本語は絶えず変化しています。
言葉によっては正反対の意味に転じることも珍しくありません。
「やばい」は元来ネガティブな意味ですが、ポジティブな感情を表現するのにも使われています。
「適当」も逆の意味を獲得しています。

辞書の意味からの逸脱を一切許さないのは「広辞苑原理主義」、辞書を編纂している人は現代日本に現れたムハンマドと言えそうです。
辞書を編む人は一人ではないでしょうし、八百万の神々を崇める日本にふさわしくムハンマド複数です。


たしかに辞書の意味に固執するのはよくないですが、言葉の変化を無制限に許容することもできません。
誤用が広まって誤った意味で使う人が多数派に転じたとして、それを受容することは、正しい意味で使ってきた人が本来の意味を捨てることになります。
それは世の中のかしこを意図的に低次元に落としていくことです。


本来の意味と異なった意味の2つが並ぶようになったとき、我々は個別にその是非を考えなくてはなりません。
厳格と寛容どちらの基本姿勢をとってもいいと思いますが、全ての肯定/否定はできません。


「煮詰まる」について考えます。
字からして明白な誤用です。
加えて「行き詰まる」との相似から誤用されるようになったと思われます。
この誤用は恥ずかしいレベルのエラーで、許容したくないというのが私の見解です。
全て「行き詰まる」に置換されることを願っています。



ありがとうございました。2015-12-04