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appreciation of the sun

雑記ブログ

敬語を使われたい人

敬語を使われたい人、というのはいるのかな、ふと思いました。

 

 

最近目上の人に連絡を差し上げた時、いただいた2回目のメールで、「フランクでいい」と言っていただきました。

 

しかし、著しく畏まった文体を、急に崩すことも難しいので、

配慮の言葉をありがたく頂戴し、敬語は変えずに返信しました。

 

 

たいていの場合、敬語を使うかどうかは、自分と相手の関係を勘案し、特によく考えるでもなく、ゼロ秒で決めています。

 

 

以前、仲のいい先輩に砕けた話し方で話していたところ、別の先輩に咎められたことがあります。

それが引っかかっていたので、今回敬語について考えてみました。

 

 

たいていの人にとって、敬語を使われ始めるのは中学生2年生の時だと思いますが、その時からずっと、私は敬語を使われたいと思ったことがありません。

 

中学校に入学し、小学生の時に仲の良かった人たちが急に「先輩」になりました。引き続き愛称で呼んでいたら、周りから先輩にそれはけしからんと言われました。

 

 

敬語はどうした、と口を出すのは常に周囲です。

 

 

結局のところ、敬語を使うのは、使い手の都合なのかなと思いました。

私たちが使いたいから使うのだと思います。

 

もし自分に敬語を使うことを要求する人がいれば、それは「神様」を自称する客と変わらないと思います。

自分が上だという関係性を、敬語の使用によって相互に絶えず確認していなくてはならないのでしょう。

 

もし私が目上の人に敬語を使わなくなったとしても、それは自分と同等あるいは下に見ているのではなく、単に親しみから来るものです。

 

 

私たちは礼を形式に込めますが、形がないからといって、礼が欠けているとは限りません。

敬語がなければ敬われていないと思うのは誤りです。

 

 

公的な空間においては、場として敬語の使用が要求されますが、

私的な空間で自分への敬語の使用を求めてしまう人は、いささか弱いのではないかと思いました。

 

 

ありがとうございました。201-01-18

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